大判例

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大阪高等裁判所 昭和26年(う)963号 判決

控訴人 被告人 中谷岩雄

弁護人 白井源喜

検察官 舟田誠一郎関与

主文

本件控訴はこれを棄却する。

理由

弁護人白井源喜の控訴趣意第一点について。

論旨は、要するに、ソロモン群島フワウロ島は日本の裁判権の行われない場所であるから、昭和二十一年二月初頃同所において犯された被告人等の本件不法監禁行為に対してはわが国の裁判権がなく、原審がこれに対し有罪判決をしたのは違法であるというに帰する。

しかしながら、裁判権は、主権の実力を実際に行使する一権力であるから、わが主権の行使される領域内に限定されると共に右地域内においては無制限にこれを行い得ることを原則とするものであつて、たゞ敗戦後わが主権が裁判権の面においてもある程度の制限を受けることとなつたけれども、本件のような被告人等の行為に対してわが国内で裁判権を否定若しくは制限するなんらの法軌範がないから原審が本件について公訴を棄却することなく実体的裁判をしたことはまことにそのところといわねばならない。

論旨前段は、本件が所論の勅令及政令の由つて来るところの連合国最高司令官の管轄区域外の行為であるの故を以て、原判決の説示を非議するけれども、原判決は右勅令及び政令に規定する以外にはわが領域内における日本裁判権の行使を制限する法軌範のないことを説明しているのであるから、論旨に従えばわが裁判権の制限がかえつてゆるやかになるだけであつて、本件に対するわが裁判権の存在を否定する理由とはならない。また、論旨中段は、原審が刑法第三条を援用したことを非難し、被告人等が濠洲軍の俘虜としてその指揮命令下にあつた特異な情勢における行為であるからこれに対しては右法条の適用がなく従つてまた裁判権もないというけれども同条は刑法第二百二十条に該当する行為が日本人によつて行われた以上その行為地の如何に拘らずこれを適用する旨を定めた刑法の場所的効力に関する規定であるに止り前に説明した裁判権をも規定したものではないから、たとえ所論のように右法条の適用がないとしても原審の本件に対する裁判権に消長を来すものではないのみならず、同条は所論のような客観情勢の下にあつてもその適用のあることは疑なく、たゞこれに対し現地において日本の裁判権を行使し訴訟手続を行い得ないだけである。裁判権のあることと処罰規定の適用のあることとは厳に区別しなければならないのであつて、前者のない場合には実体的裁判をなすことができないから公訴はこれを棄却すべく、後者だけない場合には無罪の実体的裁判をなすべきであつて、論旨はこの両者を混同しているものといわねばならない。原審が右法条を援用したのは、本件について原審が有罪無罪の実体的判断にまで立入り得ることを説いたにすぎないのである。最後に論旨後段は本件行為の当時わが裁判権の及ばなかつた事件に対し後に裁判権を行うのは憲法第三十九条に違反するというけれども、同条は行為当時処罰規定のなかつた行為に対しその後の立法を以てこれを処罰することを禁じただけであつて、行為当時現実にわが裁判権を行い得なかつたとしても後にこれを行い得る事情が生じたときにこれを行うことを妨げるものではない。本件行為は、原判示によればその行為のときにおいても刑法第三条第二百二十条に該当したものであり、行為者たる被告人等は本件起訴のときにはすでに復員して内地に帰つて来ていたのであるから、原審がこれに対し右法条を適用して被告人の刑責を問うたとしても、なんら憲法第三十九条に触れるところはないのである(昭和二十一年五月十七日勅令第二七八号附則第四項参照)よつて論旨第一点は採用することはできない。

同控訴趣意第二点について。

本趣旨は縷々論述しているけれども要するに原判決の採用しない証拠によつて事実の誤認があると主張するに帰し、その重点は被告人が原判示の制縛行為に共謀加功していないというにある。しかしながら原判決の掲げた証拠は必ずしも所論のように真実性を疑わしめるものではなく、それによれば原判決摘示の犯罪事実を認めるに足り、殊に共謀加功の点に関しては原審相被告人等が被告人の発議に相応して本件制縛行為に出たことが明であつて、訴訟記録を精査しても原判決に所論のような事実誤認のふしあることを発見しないから、この論旨もまた理由がない。

同控訴趣意第三点について。

起訴状及び原判決には本件犯罪の日時を単に昭和二十一年二月初旬午後六時頃と記載しているのみでその日を明記していないことは所論の通りである。しかして、刑事訴訟法第二百五十六条第三項が所論のような規定を設けている所以は、起訴事実を特定して裁判所の審判の対象を明確にすると共に被告人をしてその防禦に遺憾なからしめんとするにあるのであるが、右起訴状には本件犯罪の動機、被害者、場所及び手段方法等を詳細に記載しており、昭和二十一年二月初旬午後六時頃という記載と相俟つて、犯罪事実の特定に欠くるところがなく、被告人の防禦にも不測の不利益を与えるものとはいえないから本件起訴状の記載は公訴事実の表示として不適法であるとすることができないのであつて、このことは、論旨援用の前記法条が「できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定して」と明規しているによつても明である。されば、原審が右起訴事実に対して犯罪の具体的な日について釈明をなさずに審理を進めたからといつて、これを以て違法とすることができないのであり、また原判決が起訴状と同様な動機、被害者、場所及び手段方法を掲げている以上日時について前示のような記載をしているに止つたからといつて、これを以て所論のように法令の適用に誤りがあるとすべきではない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第四点について、

しかしながら、原判決が被告人等には所論のような慣例上の懲罰権もなかつたことを認定していることは、判文に「被告人等は班員の非行に対し何等懲罰権をもつていなかつたのに拘らず」と明記しているのによつて明白であつて、このことは原判決挙示の証拠によつて優にこれを認めるに足り、記録を精査してもその誤認を疑うに足るものがないから、原審が被告人等の本件制縛行為が不法に為されたものであるとした認定には経験則の違反もなければ法令適用の誤りもない。この論旨もまた理由がない。

同控訴趣意第五点について、

原判決が罪となるべき事実として摘示したところに、被告人等が共謀の上人知正弘をロープ等で胸部足部等を幕舎の木柱に縛り付け同人を不法に監禁した旨の記載のあることは、所論の通りであつて、その趣旨は制縛行為を認定しつつも、末段において「不法に監禁したものである」とこれに対する法律的見解を要約したものと解せざるを得ないから、原審がその罰条として掲げた刑法第二百二十条第一項もまた同項後段の不法監禁罪を以てこれに擬せんとするものと解すべく、同項前段の不法逮捕罪を適用しない趣旨であるとなさざるを得ない。思うに、同項にいわゆる監禁とは、人をして一定の区域外に出ること得ざらしめることを指し、逮捕とは、直接に人の身体の自由を拘束することを指すのであるから、原審認定の制縛行為は右にいわゆる不法監禁には該当せずむしろ不法逮捕の典型的な場合に属することが明かであつて、原審が前者に該当するものとする趣旨において、刑法第二百二十条第一項を挙示したのは所論の通り法令の適用に誤りがあるといわねばならない。しかしながら、逮捕と監禁とは共に人の身体に対する有形の自由を奪うものであつて、その罪責を同じうし、刑法の同条同項に規定せられ刑罰もまた全く同一であるから、彼れ此れあやまり適用せられても判決に影響を及ぼさないことが明であつて、この誤りは未だ以て原判決を破棄すべき事由となすに足りない。

以上のようにして、論旨はいずれもその理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条に則り主文のように判決する。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 梶田幸治 判事 井関照夫)

弁護人白井源喜の控訴趣意

第一点本件は昭和二十一年二月初旬頃「ソロモン」群島「フワウロ」島で行われた行為につき起訴されたものであつて日本国の裁判権の行われていない場所でのことであるから裁判権がないから控訴棄却すべきものであるところ、原判決は我が国の裁判所は憲法に基き広汎な裁判権を有すると解すべきで昭和二十一年勅令第二百七十四号同年勅令第三百十一号昭和二十五年政令第三百二十四号同年政令第三百二十五号により刑事裁判権が制限されているが本件はその法令に該当しないから日本人が連合国における俘虜期間中に犯した行為は俘虜たる身分から解放された後において我が国の裁判所の裁判権に服するのは当然であつて刑法第三条第十号により我が国の裁判所は本件につき裁判権を有するものであると判定された然し前記勅令及政令は我が国が昭和二十年九月一日無条件降伏文書に署名してから聯合国最高司令官の占領目的を達成する為め日本国内での事案に適用する法令であつてそれを以て本件がその法令の適用外であるとの理由で我が国の裁判所の裁判権があることを認定する根拠とすることができないことは本件行為の場所は連合国最高司令官の管轄外の前記「フワウロ」島で行われたことから想到して明かである。次に刑法第三条には「本法は日本国外に於て左に記載したる罪を犯したる日本国民に之を適用す」とし第十号に「第二百二十条及第二百二十一条の罪」と規定してあるから日本国民が刑法第二百二十条の罪を日本国外で犯した時は我が国の裁判所が裁判権があるものと思料される様であるが刑法は明治四十年四月二十四日法律第四十五号で制定されたものであり当時我が国は日露戦争に勝ち国威は内外に振うていたのであるから日本国の法令は国外で行うた日本人の行為に対しても効力あるものと規定したものであつて日本国が戦争をして敗れ、その政治が外国の為めに占領下におかれるということは夢想だもせなかつたのである。然るに昭和二十年八月十五日敗戦しその後無条件降伏により在外日本軍隊が俘虜となり占領国軍隊の指揮下におかれることになつたのであるこの場合海牙陸戦条規により降伏した日本軍隊は占領国の治下に入つたもので「フワウロ」島俘虜群は濠軍の指揮下にあり日本国は何等の権限を及ぼすことはできなかつたから俘虜の秩序維持も濠軍の指揮命令によつたもので仮令濠軍が日本俘虜に対し或程度の自治を認めたとしてもそれは便宜上なことで俘虜であることの地位を動かすことはできぬ。そうすると日本俘虜は濠軍の権限内にあつたのであり我が国の裁判所の裁判権がなかつたことは明かであるから日本俘虜が日本国へ復員したという一事により今迄無かつた裁判権が復活するということはあり得ない。憲法第三十九条には「何人も実行の時に適法であつた行為(中略)については刑事上の責任を問われない」と規定してあるのは刑事責任の不遡及であることを明かにしたもので本件行為当時に於て我が国の裁判所が裁判権のなかつたのに拘らず復員により日本国民の権利義務が回復した為めに遡及して刑事責任を問うことは右憲法にも違反するものである。原判決は我が国の憲法は裁判所に広汎な裁判権を認めているものであると判示されているが憲法のどこにも他国で他国軍隊の占領監督下にあつた日本人の行為について迄裁判権があると認めた条文を探すことができない。そうすると原判決は不当に刑法第三条を適用し憲法第三十九条に違反し被告人に刑事責任を認めたもので刑事訴訟法第三百八十条による法令の適用に誤があつて判決に影響を及ぼす違法がある。

第二点〈省略〉

第三点刑事訴訟法第二百五十六条第三項には「公訴事実は訴因を明示して之を記載しなければならない。訴因を明示するにはできる限り日時場所及方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定されているが本件起訴状には「昭和二十一年二月初旬午後六時頃」と記載してあつて何日であるか不明であり原審はその何日であるかを釈明せず原判決にも漫然「昭和二十一年二月初旬午後六時頃」と起訴状の文詞を移記したのである。然し初旬とは月の一日から十日迄を指称し何日であるかは不明である。原判決の引用する原審証人福井正三、高井一起は人知正弘死亡の昭和二十一年二月七日の前日六日に人知正弘が制裁されそれがため二月七日に死亡したと供述しているが他の供述調書によれば人知正弘は数日前から十日間入室していたということになつているから制裁の日は何日であるか特定したことにはならぬその日が何日であるか特定されなければ被告人が果して原審相被告人に命じて人知正弘を制裁せしめたかどうか認定することができないことは一件記録によれば被告人が原審相被告人両名に命令して人知正弘を懲罰の為め制裁さしたものであることを前提として捜査し裁判したものであることが認められるのでその月日は訴因の重要なる要素であるからである。そうすると原判決は前記法条による訴因を明確ならしめなかつたものであつて刑事訴訟法第三百八十条の法令の適用に誤りがありその誤りが判決に影響を及ぼす場合に該当し破毀されねばならぬ。

第四点刑法第三百二十条には「不法に人を逮捕又は監禁したる者」とあるから逮捕又は監禁が不法でなければならぬ。然して逮捕監禁するについて法令によらなければ不法だと即断することはできぬ。日本が敗戦したので外地にある日本軍隊は俘虜として抑留されたが海牙陸戦条規等の国際公法により日本軍隊は占領国軍隊の監督下に置かれたが軍隊の紀律保持は日本軍隊の自治に委ねられた日本軍隊が終戦前陸軍刑法陸軍懲罰令の外に慣例上軍律維持の為め制裁を行うていたことは顕著な事実である軍隊生活は一般の社会生活と異り法令のみでは秩序維持ができないのであつて前記慣例の生じたのも当然のことである。

原審相被告人等が私的感情に駆られて私的制裁を加えたというのであれば原審相被告人両名の処罰のみで足りる。被告人が第二中隊先任准尉として換言すれば第二中隊の指導者として原審相被告人両名に対し制裁を加うることを命令したとすればそれは慣例上上官が部下の紀律維持の為め懲罰を命じたものであつて必ずしも不法であると断定できぬ吉村隊事件の池田隊長が占領国軍に媚ひるため又は自己の保身上部下に対して懲罰しそれが為めに死亡せしめた様な事案と異り本件は秩序維持の限度内で制裁をしたものであるから刑法第二百二十条の不法に人を監禁したことには該当せぬのに原判決が被告人に刑法第二百二十条を適用したのは前記慣例の存することを無視し経験律に違反したもので法令の適用を誤ているものでその誤りは判決に影響するものである。

第五点原判決は「人知を右収容所第一班幕舎の木柱の前に立せ直径約四分の木繊維製ロープ等で同人の胸部足部顔面等を右木柱に縛り付け同日午後八時頃右ロープを解いて同人を解放したがその間約二時間に亘り同人を不法に監禁したものである」と認定したが身体を直接に自由拘束の手段として制縛することは逮捕で一定の区劃内に拘禁することは監禁である本件は原審相被告人が人知正弘を柱に縛り付けたというのであるから逮捕であつて監禁ではない刑法第二百二十条には「逮捕又は監禁」と同列に規定されてあるから逮捕でも監禁でも同罪ということになるということで看過されたのかしれぬが逮捕と監禁とは同一でない原判決は此点に於ても法令の適用が誤ている。以上の通り原判決は事実誤認及法令の適用が誤つた為めに被告人は終戦六年の今日遠い南海の孤島での事案につき無関係であるのに刑責を問われているのは終生の恨事であり原判決は執行猶予にはされたが飽迄無罪を確信するものであるから原判決の破毀を求むるものである。

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